日本トルコ文化交流会 TURKEY JAPAN CULTURAL DIALOG SOCIETY

Feb10



2015年2月10日 日本プレスセンターにて、「エルトゥールル号からの恩返し 日本復興の光大賞15」の記者発表を行いました。

池上彰審査員長によって、「日本復興の光大賞15」に選ばれた1団体、「日本復興の光特別賞」に選ばれた3団体が発表されました。


「基本的な選考基準」
1. 地元に密着して、草の根で頑張っている民間団体。人に知られず、地道に活動を続けている「縁の下の力持ち」的な団体に少しでも光を当てる。

2. 被災地、被災者のために10年、20年、50年と長期的な視点に立って地道に活動している団体とする。活動の成果が、必ず地元に還元されるように取り組んでいるところとする。


■「日本復興の光大賞15」受賞団体紹介

「ベテランママの会」
(代表・番場さち子、本部事務所は福島県南相馬市)

東日本大震災後、福島県南相馬市で不安を抱える若い母親や子ども、高齢者たちの精神的なサポートをしようと立ち上がった任意団体。番場代表は、大震災前に、福島第一原発から約20キロ離れた南相馬市で小、中、高校生を対象にした学習塾を経営していたが、原発事故で塾生は避難していなくなった。
これからは心のケアが必要であると感じ、高校の同級生ら四人と「ベテランママの会」を発足した。「放射能の正しい知識を伝えよう」と、南相馬市立総合病院の坪倉正治医師とともに、市民向けの放射能に関する勉強会を始め、これまで約80回開き、延べ2000人以上が参加した。都内の大学に進学した学生から「放射能がうつる」と揶揄された話しを相談され、地元からの情報発信が必要と考え、坪倉医師らの協力で「よくわかる放射腺教室」というカラー刷り、小冊子を計4万部を発行。英語版も作成。さらに、地元の医師らの協力で「心の健康講座」「女性講座」も開講。今年11月には、東京の駒場東大前駅近くに首都圏        に住む福島からの避難者の相談窓口やたまり場となるサロン「番來舎(ばんらいしゃ)」を開設した。放射線理解の小冊子の発行や事務所運営費などは寄付金でまかなっている。 
ウェブサイト:http://veteranmama.jimdo.com/





★「日本復興の光特別賞15」受賞団体紹介

① 「特定非営利活動法人・まちづくりNPO新町なみえ」
(理事長・神長倉(かなくら)豊隆、所在地は福島県二本松市)

福島県浪江町は東日本大震災の発生後、全町避難を強いられている。東京電力福島第一原子力発電所に隣接する浪江町人口2万1000人。原発事故の影響で故郷を喪失し、福島県内に15000人が避難し、北海道から沖縄、そして海外に約6000人。が住んでいる(13年春現在)。
「まちづくりNPO新町なみえ」は、2011年秋に設立された。大震災の発生後、浪江町役場は二本松市に移動した。「まちづくりNPO新町なみえ」は、二本松市の浪江町役場内を事務所にし、浪江町民の「誇り」と「文化」を取り戻すため、ふるさと再生や失われた住民同士の絆を取り戻そうと各種事業を進めている。「町民と町民をつなぐ▽町民とふるさとをつなぐ▽町民と未来をつなぐ」ために、二本松市の夏祭り期間中に浪江の盆踊りを開いたり、浪江町の最大のイベントである「十日市祭」をJR二本松駅前で「復興なみえ町十日市祭」と銘打って実施している。昨年11月末に二日間開いた十日市祭には県外に避難している町民たちら計25000人が訪れた。
また、福島県内だけでなく、富山や京都、広島、沖縄など全国各地でも浪江町の避難者たちとの交流会を開いた。さらに、「町民と未来をつなぐ」事業の中で、早稲田大学都市・地域研究所などと協力して、復興後の浪江町の街づくりをどのように進めるのかを、未来の浪江町の模型を造ったり、浪江町民の意見などを集約しながら調査、研究している。
神長倉理事長は大震災前に浪江町で花屋を営んでいた。しかし、浪江町に帰還できる目途も立たない中で、家業を継ぐはずだった息子は、神奈川県の避難先で自宅を建て、会社員としての人生を歩み始めた。2019年4月が浪江町民が浪江町に帰還する予定日だが、除染やインフラ整備の問題などがあり「実現のめどは立っていない」(神長倉理事長)。避難生活が長引くにつれて、県外などに散り散りになっている町民同士の絆をどのように保ち続けていくのかなど課題は山積している。
ウェブサイト: http:sinmachinamie.com


② 「特定非営利活動法人・再生の里ヤルキタウン」
(理事長・熊谷耕太郎、所在地は岩手県陸前高田市)

大震災の時、熊谷理事長は福島県郡山市在住のサラリーマンだった。道路は損壊、雪がチラついて、ガソリンがない中、やっとの思いで、故郷・陸前高田市に戻った熊谷さんは、津波被害などであまりに変わり果てた故郷の姿に驚く。一年間は、週末に郡山から陸前高田市に通い、ボランティア活動をしていた。会社を退職した熊谷さんは、地元に戻り、本格的に陸前高田の復興に取り組み、12年7月、法人化した。
陸前高田市の大震災の死者、行方不明者は約1,800人。被災者はちりぢりになり、故郷は崩壊しました。避難生活が長期化すると、うつ病や孤独死が増える。このことを懸念した熊谷さんは、「まず必要なのは、人々が集まれるコミュニティ広場だ!」と思いたち、行政に訴えた。しかし、職員も多く亡くなっており、市役所の対応もにぶかったという。ブルドーザーなど重機の運転免許は持っていたが、一度も動かしたことのなかった熊谷さんは見よう見まねで動かし、陸前高田市米崎町の自宅の農地を造成して、12年12月、コミュニティー広場をオープンさせた。今年12月、2周年記念感謝デーイベントを開催。また、住民が集えるサロンを併設した仮設商店街「ヤルキタウン」を広場に整備した。商店街の一角に「みんなの茶ロン」を開設。会員の“ヤル貴婦人”たちが食事やコーヒーなどを有料で提供している。中学、高校生のための勉強・交流の場「自間学かふぇ」を開き、専修大学生が中心になり関東の大学生でつくるボランティアサークルが勉強や交流を深める。
ボランティアの力を借りながら自分の果樹園を造成して、仮設住宅に住む被災者のための家庭菜園を造り、「ヤルキタウン園芸広場」、それから桜の木(日本三大桜の子孫木)をはじめ種々樹木を植えた。またオランダから寄付されたチューリップなど花壇を造り市民の公園として散策路を整備し「ヤルキタウン花画廊」と名付けて通年楽しめる新たなデートスポットを構築(中)している。また福島県二本松市の支援をいただき浪江町の被災者との被災地間元気交流事業も展開し支え合っている。地域内外のボランティアコーディネートやヤルキタウンでのイベント企画運営をコア事業として、住民交流、地域間交流を行っている。
「再生の里ヤルキタウン」の会員は15人(うち理事6人監事2人)。理事長報酬はなし。事務局は妻が手伝っています。熊谷さんによると「財力、能力、組織力が乏しい」と言います。重機も、当初、個人は借りられなかったが自費でレンタル。今は、「日立建機」が無償で貸してくれる。山の斜面に造成されたヤルキタウン花画廊からは、刻々と表情を変える海が見渡せる。熊谷さんは「海を見ているといつまでたっても飽きることはありませんね。これからも被災者のための希望の場を造り続けていきたい」と話している。
ウェブサイト:http://ameblo.jp/yarukitown/


③ 「特定非営利活動法人・石巻復興支援ネットワーク (通称)やっぺす」
(代表理事・兼子佳恵、所在地は宮城県石巻市)

「みんなで復興やっぺす」。
「やっぺす」とは石巻の方言で「一緒にやりましょう」という意味。11年12月に法人化し、今年で4周年となった。
地元出身の女性を中心に運営している。被災者の自立支援と、震災前の当たり前の生活を取り戻すための各種事業を展開している。「石巻に恋しちゃった」では、お菓子作り、絵手紙作り、フラダンス、蕎麦打ちなど地元の「達人」たちによる体験プログラムを展開している。カナダ生まれの親育てプログラム(NP(ノーバディーズパーフェクト) 講習会の開催やNPファシリテーターの養成を通して、子育て中の母親たちの孤独感やストレス軽減を図るママ・子ども支援事業や化粧品会社などと一緒に、女性の力を復興まちづくりに活かすための化粧、スキンケア講座やスキルアップ講座なども開催。
また、「石巻復興支援ネットワーク(通称)やっぺす」は、宮城県の委託で復興に向け、新しく事業をスタートする起業家たちの支援事業も行っている。
アルバイトを入れたスタッフは15人。11年度特定非営利活動に係る事業会計収支計算書によると収入は6500万円、支出は5600万円となっている。石巻市の震災のよる死者、行方不明者は4000人。震災前の石巻市の人口は16万人だったが、現在は15万人弱に減少している。兼子代表理事は「県から支援を受ける起業家たちの新事業でも途中で失敗するケースも少なくありません。その意味でも起業された時点はゴールではなく、あくまでスタートだと考えます。地元のために地元に根付く支援事業を根気よく進めて行きたい」と話している。
ウェブサイト:http://yappesu.jp/


2月28日には都内にて、表彰式が行われます。

最新イベント情報

第1回エルトゥールル号からの恩返し・日本復興の光大賞15 報告書(PDF)
第2回エルトゥールル号からの恩返し・日本復興の光大賞16 報告書(PDF)
第3回エルトゥールル号からの恩返し・日本復興の光大賞17 報告書(PDF)
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